苦言。

私がこんなこと言うのもアレかもしれませんが。


皆さん、見ました? 昨日のヤフオク
私は見てませんでしたよ。もちろん。
なぜ、知ったかというとあきおさん経由
とりあえず、リンク先見てくださいよ。愕然としますから。
・・・・どうでした?
すごいですよねえ。ボドゲってこんな値が張るものなんですよ。実は。
っていうか、こんなにお金がかかる趣味だったとは露知らず。私の慎ましいというかションボリな財源では、もうボドゲを続けることなんてとてもじゃないですが出来そうにないんですけど。なんだかなあ。


ま、ベタな皮肉はともかく。


古いゲームに価値を見出すっていうのはもちろん趣味者らしい行為ではあるんですが、それがこうまで過剰になってくると「悲しい」とか「虚しい」みたいな気持ちが湧き上がってきます。
たしかにいずれもそれなりの希少性があるものなのかもしれません。プレミアムが付いて、ある程度の市場と相場が形成されて。古いボドゲってのはもう手に入らないって言われ方をすることだってあるくらいですからね。
ちなみにまあ、中古ボドゲなんてのは探す手間と出会いの運くらいのもので、大抵は気合入れれば入手可能ですよ。よっぽどレアなアイテムでもない限りは、現地ドイツや第二のボドゲ王国アメリカであれば2000〜5000円のもの。いや、3Dカタンは別ですけどね。あれはね。
GEEKなんかの個人売買調べでも(相場が通常より高い)、あきおさんとこで紹介された上記三点はその範囲に納まります。だってねえ、それが常識的な値段ってヤツですもの。買う側からしても、売る側からしてもね。
そこに今回みたくポーンと大資本(笑)が投下される。「あ、これ欲しい。今欲しい。絶対欲しい。もう無い、きっと無い」みたいな勢いでね。すると今後の市場も狂ってきますよ。そういうもんでしょう市場原理って。いや、そうだと思うんですけどね。ウソ言ってたら申し訳ないんですけども。
そうなってくると割を食うのは、ボドゲをホソボソと探しちゃあ買い集めてたりする私みたいなボドゲーマーですよ。なんだかわからないけど手が届かないところにいっちゃったよボドゲ・・・・、みたいなゲンナリ感。もっと身近な趣味だったと思ってたんですが。


ボドゲはたしかに得体の知れないような部分も少なからずあるとは思います。だからといって、そういうのに振り回されるのはなんだか「イカス趣味者」って感じではないですわなあ。上手く言えませんが。
私は財源がションボリなので、そこから来るヤッカミでこんなことを言ってしまってるのかもしれません。もっとお金があれば、バカみたいにボドゲ買って、バカみたいに所有するのかも知れないですし。お金持ちになったこと無いんで、よくわかりません。また、生活におけるボドゲの優先度がそこまで高くなったことも無いんで、よくわかりませんよねえ。わかるはずも無い。



ツラツラと書いてみたらなんともまとまりないですが。
そんな今の気持ちは一言で言うとこんな感じ。
「なにごともほどほどが一番ってことですよ」
こんな感じでウヤムヤに終了。
趣味に必死になるのは、なんだか大人げない気がするんです。
収集だってゆとりが必要。
最近「日々の泡」を読んだから余計にそう思うのかも。

日々の泡 (新潮文庫)

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いや、そんな私ももう周りからすれば「必死」の部類なんでしょうけどね。
ゲンナリ