私とボドゲ。(ボドゲ購入の側面から)

なんだこのタイトルってな感じですが。まあそういうことですよ(謎。


昨今。
ボドゲを買う機会が極端に減りました。いや正確には「機会」という外的な要因ではなくて、とても恣意的な感じなんですけども。国内ショップに対しての共同購入な誘いをもらっても何ら買うことはありませんし、以前は毎週のように届いていた個人的なボドゲ輸入さえしてません。最後に「買った」のはたしか「シンペイ」。その前となると・・・・・前回のメビウス便?でしたかね。つい先日、さとーさんから譲り受けたゲームはありますが、これはまあだいぶ以前からお願いしていたものですし。
なんといいますか。
こう、猛烈に心震わされて「欲しい!コレ、欲しい!」なんてふうに足をジタバタさせるようなことがなくなりました。
だもんで、ほとんど「買う」に至りません。もちろん、ある水準を超えるモノはそれでも買ってますし、メビウス便で半強制的に届くブツもありますが、どうにも惰性で購入している感が。今までの流れもあるし(?)、買っておくか、みたいな。
・・・・ちょっと語弊。言い方おかしかったですね、今のはさすがに。
欲しいには欲しいわけですよ、メビウス便のブツも。基本的には気になる新作ばかりですからね。今でも頻度が落ちたとはいえ海外サイトを巡回してないわけでもないですし、当然、新作の評判とやらも漠然ながら知っている、だから遊んでみたい。じゃあ「買っておくか」ってなる。「メビウス便を止めるほどではない」と判断する。
とか。
メビウス以外の新作だってそう。自分内水準を超えるゲームがショップで発売された、テーマや内容に興味がある、ある種のオモシロを見出せそうだ。だったら、これまた「買うか」ってなる。
でもね、そういう「購入」ってな行為をとりまくなにかが「惰性」になってしまっているんですよ。流されているというか。熱狂を以って迎えることでなくて、どこか冷めているというか。・・・・上手い言葉が見つかりませんなあ。
あげく、明らかに以前なら「買い」だったモノが「別にいらないなあ」になっていることが確かな実感としてあります。水準が上がっているわけではなくて、なにやら無関心にも似た感覚。


過去作(主に絶版モノ)については、新作に対してのソレよりさらに一歩引いた姿勢。
私的に考える「目ぼしい過去作」をほとんど手に入れてしまった、ということも少なからず影響しているはずです。いや、辿っていけばそれこそ無尽蔵で、まだまだ買うに値する良作(&隠れ地雷として踏んでみたいボドゲ)は山のようにあるわけですよ。実際、それを見つけてさえしまえば「買う」だろうなあとも思いますしね。強烈なレアアイテムかつ「欲しい!」なブツは無論、いずれは手に入れたいと考えてますし。
しかし、もう以前のように「必死になって探す。そう、血に飢えた獣のごとく。私はボドゲコレクター、アレを必ず手に入れてやる!!」なんてことはなくなりました。とても貪欲でしたからねえ、あの頃は。・・・・まあ、そんな昔の話でもないですが。
今やコレクター云々はどこへやら、なんともお気楽ムードな廃れゲーマー稼業。とりたてて急ぐこともなく、心が波立つような事もなく。「いつか見つかればいいな。なければ仕方ないな」といった具合に達観。ゲームの「捜索」に割く時間も圧倒的に減りました。っていうか、ほとんど探してないです。



思えば、私は「ボドゲな世界」を勢いよく追い求め過ぎたのかもしれません。
全力で追ってましたからね、ボドゲ。自分で「少しアタマがおかしいんじゃないか」と思う時期があったほどに。そりゃもう酷かったんです。とにかくボドゲまみれで、ゲンナリするくらい四六時中ボドゲのこと考えてましたから。で、意気込んで追うあまり、いつしか逆にボドゲ自体から追われているような感じにもなりつ。そして気負いが私の視界を狭めつつ。いただけない状況ですよね、全く。
そんな私が、どうやらここにきて落ち着いてきたというか、心に平穏を取り戻したというか。・・・・異常気味だった頃の私からすれば「心がかすれてしまった」のかもしれませんが。どの地点を原点に見るか、の問題ですけどね。言い方一つ。ともかく、楽しみとしてのボドゲは以前として高いレベルにはあるものの、確実に優先順位が下がりました。
まあ、これまでがこれまでですから、このくらいでやっとこさ、いい関係になれたのかもしれません。趣味として、楽しみとしての一分野というか。もちろん、占める割合は今まで通りとはいかないまでも、大きなものには違いなく。
ボドゲが、目的から手段へ。
え、今まではそうじゃなかったの?と言われてしまいそうですが、ここに至ってしみじみとそう思うのです。「目的」「手段」と言い分けるとなんだか大きな隔たりがあって、私が感じるところと違う気がしてちょっとアレなんですが、他に上手い言葉が思いつかないのでコレで。もっと本当に言いたいのは、重なり合う部分があるそれぞれ、みたいな感じなんですけどね。移行した、じゃなくて、変質したに近いような。


ボドゲを遊ぶようになって今まで、様々な方々とテーブルを囲みました。きっとボドゲがなければこれだけ沢山の方とは接点がなかったはずです。ボドゲがきっかけで知人となり、継続的な付き合いが生まれたり。そんな機会をくれたことを素直に感謝しなければならんなー、なんて。アタマがおかしかった頃もそう意識していましたが、今はそれをより強く感じるようになりました。
また、今までボドゲ以外で付き合いがあった友人とも、ボドゲを通じて新たなコミュニケーションを開拓できたというか、刺激的な時間の共有があったと思います。ボドゲが介在することによって活発化した個々の繋がりというのは本当に特有のものです。そうして得られた距離感は、より密な関係を育んだのではないかと。
無論、趣味全般が同様のことを言えるのかもしれませんが、導入面や稼動面において私はこのボドゲという形態がとても好みなんですよねえ。



「買わなくなった」昨今。遊んで楽しい、ってのは変わらず。
とにかく私はとても便利なツールを知っていて、その使い方やら効果やらを熟知しているわけですよ。これまでの経験からそりゃもう愕然とするほどに「思い知らされている」んです。ゲンナリな一面もイカス在り方も。そして、そこから広がる世界も、その可能性も。
そんなこんなで今は結構身軽で気楽な感じ。それでいて、今まさに趣味としてのボドゲを始めるべくスタートに立つような感慨すら。矛盾しているようでそうでもないあたり、心境を言い表すというのは本当に難しいものですなあ。


このブログもどうにか一周年。これからもオモシロだのゲンナリだの言いながら、地味に続けてみようと思います。とりあえず棚に並ぶオモシロなボドゲを片っ端から遊ばなくてはならんですなあ、とか思っている次第。なにせ山のように在るわけですよ。もう大変。むぎぎ。