そうなんですけどね。

「手番順による有利不利」の話。
ゲームを遊んでいると、良く話題に上るのがこれ。最近だと「ラ・ストラーダ」とかがそうらしい。近頃のいろんな日記やら感想やらを読んでいると結構そのことに触れている。手番の順番と、勝敗の(獲得点数の)順番が同じになる(もしくは、なり易い)とのこと。どうやらそのせいで面白さが半減してしまうそうだ。一度こうした「先手番が必ず勝つor後手番は絶対勝てない」のような話が持ち上がれば、大抵、その汚名が返上されることは少ない。でも、中にはプレイ時の印象がそうだっただけで実は手番順に関係なく平等に勝利の可能性があるものの、今でも不当に評価が低かったりするゲームもあるが、やっぱり本当に有利不利があるものも存在する。今回の「ラ・ストラーダ」もどちらかというと後者なのだろう。私もそういうゲームを多数所有しているが、二度と遊ばない、というわけでもない。むしろ、積極的に遊んでいるものさえある。地雷、地雷だと良く言い放ってしまう私だが、こういう部分には案外前向きに考えていたりするのだ。遊ぶ価値のないゲームなどないのですよ。・・・なんだか楽しくなってきたなあ。
「手番順による有利不利の続き」の話。
いくつかポイントがあると思うのだが、キーは「勝ち負け」「所有」「楽しみ方」の三点だと思っている。例えば、「絶対先手が勝つ(有利)」というゲームがあったとする。言い換えると、このゲームでは先手は負けてはならないのだ。常に背水の陣。最近話題にした「メモワール44」も毛色は違うが、系統は近い。あれはシナリオによって全くイコールコンディションではないので、陣営を変えて遊ぶことを前提にしている。獲得メダル数の量で勝敗を決定している点を見ても明らか。また、もし手番順に勝敗がつくゲームがあったのなら、このゲームでは勝敗順を一つでも上げることができたプレイヤーが勝者だと思うのだが、どうだろう。有利なはずの先手番達がそれを止められなかったのなら、それは負けに等しい。なんだか、すごく大胆な話だけど、それもまたアリなんじゃなかろうか。勝敗のつくゲームを遊ぶのだから、勝ち負けを意識するのは仕方ないとしても、あまりそれに固執しなくてもいいと思うときもあったりする。システムやらゲームの雰囲気やらプレイヤー間の攻防やら、他にも楽しめることはたくさんあるんだし。どんなゲームであれ「ゲームをするということ」だけで楽しかったりした時期が懐かしい。数を遊ぶほどにそういう感覚が麻痺しつつあることにふと気づいたりして悲しくなったりする。仕方ないことなのだけど。あと、そのゲームを所有しているかどうかという要素も見逃せない。自分の子には甘いし、他人の子には手厳しい。所有ゲームを楽しもうとする努力と、あのゲームは買わないと決別する思考。まあ、自分で所有してても面白くなければ手放すだろうし、地雷として封印したりもするので、一概にも言えないのだけど。ゲーム会が増えてきて環境が整ってきた昨今、労せずして数を遊べるあまりに、簡単に切って捨ててしまうことが多くなってきているような気もする。ちなみに、頑張って持参してみて、あげくボロカスに言われたときの悲しさったらないので、手加減してやってください(苦笑)。ゲームバランスがぶち壊れていても、やたら楽しかったり、勝敗関係なく面白かったりするゲームもあると思うんですが。地雷ですら、「ぐはっ」という悶絶感を楽しむために登場するしねえ。よっぽど中途半端に面白かったゲームより記憶が鮮明な分、登場する回数も多かったりして。まあ、せっかくゲームがあるんだから、楽しい方がいいですね、なんにしても。そのためなら手段は問いませんよ、私は。・・・・って、そんな勢いだけの結論じゃダメですかねえ。