あたしら鶏だけ(Nobody But Us Chickens)

”「あたしら鶏だけ(Nobody But Us Chickens)」”

なにせ「使いきり」の楽しさ。某「限定じゃんけん」を思い出しますね。じゃんけんで9本勝負。グー、チョキ、パー。それぞれの出せる回数が決まっていたとしたら。言ってしまえば、それにテーマと曖昧さとゆらぎを持たせて、カードゲーム化したような内容です。シンプルな構造、際立つ鋭さ。なぜ巷で噂にならないのか不思議なくらいにオモシロ。「心理戦」フリークには堪らない仕上がり。


なにするかっていうと、農場で価値ある鶏をたくさん集めようってなゲーム。
全員同じ構成のカード9枚。中身は鶏6枚、犬、狐、鼠が各1枚で4種。得点になるのは鶏。鶏には優劣があって、プラスにも幅があります。マイナスの鶏もいます。
これらを毎回一枚ずつ一斉オープンでドンとかやって、出揃ったカード次第で「誰の手元に鶏がいくのか」みたいな。9枚使い切るまでを1ラウンドとして、人数ラウンドやります。


得点源の鶏は、出しても場にドンドンと溜まっていくだけ。これでどうこうなるわけではないです。鶏を回収するには、残り三種のカードを上手く使う必要があると。
狐、鼠は害獣という括り。これを出すと場の鶏をゲットできます。獲得できる優先度は「狐>鼠」。複数のプレイヤーが害獣を出したら、ラウンドごとに変わる「狐の王様」から順番に鶏がいなくなるまで取りまくり。もちろん一人だけなら独占。鼠は「ちょい喰い」な役割なので、「ガッツリいく」なら狐です。よくわからないかもしれませんが、遊ぶと非常に良くわかります。
で。害獣が出されたときに誰かが犬を出していたら、害獣の人々はゲンナリして、犬の人々はホッコリ。害獣は無力化されて、犬が鶏をゲットします。犬複数ならこれまた「犬の大将」から順番に根こそぎ。一人なら独占。でも害獣がいないのに犬を出してしまったら、まさに犬死。自分の無駄遣いぶりに激ゲンナリすると。


得点のチャンスは9枚のうち3枚。すなわち害獣共と、犬。
手札を使い果たしてラウンド終了するまでカード回収はないので、「どれをいつ出すか」が非常に重要になります。で、その読みあいが熱いわけですよ。猛烈に。
他人の獲得系は無駄に、自分の時はできる限り効率よくガッツリと。これです。しかし、これが難しい。
誰だって同じことを考えていますから、相手をハメるためには鶏の仕込みが重要です。その仕込み過程でのアヤというか心理的な攻防がとてもオモシロなんですよねえ。「何か一枚しか出せない」という当たり前のルールがこんなに苦しく思えるゲームもそうないですよ。仕込み途中にしてやられた時のあの悔しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
ラウンド最大の山場は「犬出撃のタイミング」。犬の得点は他人の害獣ありきですから、一番複合的な判断が要求されます。この1枚を無駄にしないためにも適確に相手の心理を押さえなければなりません。場が熱くなればなるほどに、「害獣でいくか」「犬でいくか」の読み合いが熱い。裏読みすぎて「犬が出揃ってしまった」なんて、もうゲンナリの極みなわけですよ。


数ラウンド繰り返して得点を競うという構造上、ラウンドそれぞれに様々なドラマがあってとてもオモシロです。前のラウンドの教訓を活かそうとするほどに深みにハマる感じがまた。さっきはこうだったから、が、しかし・・・・と思考は果てしなくループ。答え無き問いかけに決断を下す心許なさたるや、並大抵のものでは。
その時々の参加者によっても流れに差がでるので、「妙な過去の定石」に惑わされないフレキシブルな読みが要求されるのもイイ。
もうね、とにもかくにもオモシロ満載。詰まりすぎ。
全身で「どうするんだよこれ」と思わず仰け反ってしまう悩ましさを。他人を見事出し抜いて鶏をかき集める際の打ち震えるような勝利感を。堪能してください。イカス。
あ、そうそう。6人まで対応ですが、5人くらいが鋭さの限界っぽいです。4人推奨。