バベルの塔(Der Turmbau zu Babel)

”「バベルの塔(Der Turmbau zu Babel)」”

世界に8つある驚異的な建造物の建築に参加して、高い評価を得る、みたいな内容。
今から説明してみますが、たぶんわかりにくいと思います。その理由の半分は私の文章構成力のなさ。残りの半分はゲームの勘所の掴みにくさ、です。超長文。
(追記:大きく前半後半にわかれました。前半システム系、後半感想系。面倒な場合は後半だけでも伝わると思います。前半は他サイトを参照した方がわかりやすいです。自分で言うのもなんですが。)




ってことで前半。
ボードには8つの世界の驚異的建造物。これがいわゆる場、ってやつです。ここに自分の建材を出資していくことになります。
各場所には、必要な建材の種類とその数量が「タイル3枚」として置かれてます。1回の建築ごとに3枚のいずれかを解決していくことになるので、どの建造物も3回で完成。建築行為そのものが失敗することもあるので、これは最小の回数。建材の種類は手札となるカードの種類と合致。4種の建材のいずれか。例えば、「黒4」「紫5」「茶3」のタイルが置いてあった場合、タイルごとに指定されたカードを、指定された枚数分使用することで建築成功ということに。
自分の手番には何するかというと、パスか建築、この2択。どちらを選んでも手番のプレイヤーを含んだ全員がカードを一枚ずつ補充します。で、パスしてたら1枚多く、手番の人はもらえるという話。状況次第ではパスも非常に重要な行動ですが、説明は割愛。
で、建築。8ヶ所のうちの1つを選び、さらに3つあるうちのタイルの1つを選びます。もちろん、既に建築成功してたら、タイルは減ってます。仮に選んだタイルが「黒5」だったとしましょうか。黒カード5枚いるってことですよ。しかし、手番の人がこのカードを全部出すというわけではないです。困ったことに(?)全員参加可能なんですよ。
さー、ややこしくなってきましたよ。
この建築に参加したい「手番外の人々」はカードを準備します。その時、手番の人は待ってるだけ。
で、一斉にオープン。手番の人は、手番外の人々の参加状況を見ながら検討。最終的に黒のカードが5枚あれば、このタイルについての建築は成功します。でもそれを自分だけで全て出すのは大変なので、手番外の方々の参加を喚起しているというカタチ。
誰を参加させるかは手番の人の裁量。全員参加させる義務はありません。提示がいやなら、全員突っぱねても可。参加させた人のカードに、足りない分を自分の手元から付け足して、全てを消費、捨て札に。タイルは手番の人が獲得、手元へ。
手番、手番外問わず、参加できたカード枚数に応じて、各プレイヤーは自分のトークンをその建造物に置きます。
このトークンは蓄積されていって、各建造物が完成すると決算が発生。トークンの数が1位、2位、それ以下、という括りで得点が異なります。「決算得点」とでもいいますか。建造物は8つありますが、ゲームの終了条件のせいもあって、全てが完成することはないです。
「決算得点」については、決算時期が後になるほど、段階的に得点割合が高くなるように設定されています。
えー、なんの話でしたっけね、あ、そうそう、建築の話の途中でした。
建築に参加する意志を見せたのに、突っぱねられた人は手札を消耗しません。そればかりか、突っぱねられた分だけ、即座に勝利点を獲得してしまいます。これが地味に重要だったりしまして。時には敢えて突っぱねられるような提示をしてみたり。これを称して「拒否得点」とでもいう事にしましょうか。
建築成功した際、獲得したタイルですが。これはゲーム終了時に同色のものを複数集めておくと得点になります。馬鹿にならない得点ですが、これだけで勝てるというほど強力というわけでもないです。これが「タイル得点」。ちなみに1枚だけだと0点。


あと、交換カードってやつがありましてね。これ、ゲームのキモの部分です。
これを建築に参加する際、提示するカードに混ぜておくと、手番でなくても、タイルをもらえる可能性があります。この交換カード混じりの人を参加させると、その人が出したカード分だけ「手番の人」がトークンを置けてしまうのです。で、タイルがもらえる。
代わりにカード出してあげるから、タイル頂戴。という意味があるということですな。
手番の人からすれば、「決算得点」を重視するか、「タイル得点」を重視するかの選択。相手にタイル得点のトスを上げることがなければ、その提示はお得なのかもしれません。しかし決算を重視しすぎてもトークンが無駄になるだけで意味がありません。
手番外の人が、建築参加の際に交換カードを混ぜるということは、「タイル得点」を狙っている、もしくは「拒否得点」を狙うということです。しかも、交換カード混じりの人は一人だけしか参加させることができませんから、交換カードが多いと、建築成功自体が至難になります。混ぜない場合は、「タイル得点」の部分が、「決算得点」に置き換わるという話。


ちょっと疲れましたね。わかりにくくてすみません。実際にゲームを前にすると幾分わかりやすいかと思うんですが、そうもいきませんし。まあ、ゲームを始めてもおそらく最初のうちはピンときませんけどね。とにかく、どこで得点するべきかがわかりにくいのです。
しかもこうした建築時の攻防を屋台骨として、そこに様々な特殊カードが加わり、戦略の幅を広げつつ。ゲーム終了のタイミングを推し量りながら、どこまで得点を稼げるか、みたいな感じで、続くわけです。



ゲームは前述した3種の得点方法を駆使(もしくは考慮)しながら進行します。最重要は決算得点。それは得点割合から考えても明らか。しかし、なんでもかんでもトークン配置しておけば、というわけでもなく。一人だけ飛びぬけていても、カードがもったいないので、ベストは「少しだけ勝っている」状況。あまりに勝ち目がない建造物には、誰も近寄らず、結果としてゲーム中決算に至らず、終了時の少量決算にとどまるケースもあります。とはいえ、それでも自分だけで1位点をもらえるのは強い。まあ、そんな状況にしてしまった他者にも問題ありますけどね。
2番目は拒否得点。得点しても手札を消耗しないというのが強い。これをのさばらせると目も当てられない状況になるので、身を削ってでも止めにいかないといけないのだと思います。敢えて建築に参加させてカードを消耗させたり、もしくは関連するタイルでの建築を行わないなどの工夫をしてみたり。このあたりの駆け引きがこのゲームの一番の攻防になる部分です。厳しさが溢れるというか。クニツィアらしいというか。
そして3番目がタイル得点。これは交換カードがらみで、拒否得点にも影響がありますから、タイル得点単体で狙ってどうこうというわけではないですね。時に抑止力だったり、誘いだったりするような感じの使い方。ただ、放置するには惜しい得点量ですから、意識だけはしておくべきでしょう。基本は単色、広げて2色が限界。
とかなんとか。





そして後半へ。
もっといろいろ勘所の話をしたり、構造の話をするつもりだったのですが、飽きたのでやめます。
ということで、話を変えて、「なぜそんなにやる気がないのか」、グダグダ理由をば。
まず最初に。このゲーム、私とは相性が悪いのかもしれません。これ大前提。
ゲーム内容としてはアリの部類ではあるんですが、遊んでみると、どうも淡々としてアレな感じ。全ての局面において、酷くシステマティックなので、作業感が漂うというかなんというか。かなりのドライぶり。たしかに悩ましいところもありますし、戦略的な駆け引きも、ここそこに存在します。それを考えながらゲームを進めるのは、まあまあオモシロではあります。別にダラダラと長時間ゲーというわけでもありませんし。
しかし、プレイ後。なんともスッキリしない感覚。ゲーム中もドローンドヨーンとした感じで終始。こう、気が重いです。メンバーによって変わるのかな、と思って試しましたが、ダメでした。やっぱり同じ印象。ま、1回目より2回目の方が勘所を掴んでいる分、楽しめたような気もします。しかし、初回参加となった方は「掴む」まで難儀そうでした。模索、そして模索。
「勘所に気付くこと」が本作を楽しむための第一条件なので、初回の方はその点でだいぶ損。全員が経験者であれば、序盤からいやらしい攻めを実施することができるはずです。しかし、そういう機会は多くないような気も。っていうか、もう私、疲れ気味なくらいですからして。
遊ぶほどに勘所を掴み、それを駆使して、本質をついた遊び方ができるのかもしれないですが、何度も遊んで「参加者全員」のスキルをあげる手間暇をかけるほどの情熱はありません。いや、オモシロくないわけじゃあないですよ、決して。



このゲームを遊んでいると、何度となくアタマを過ぎるのは「処理する」「解決する」などの単語。
パスか建築かを選んで、ではここで建築開始、参加予定の方はカードを準備、公開、カードが出揃って、確認、誰と誰を拒否して、誰を建築に参加させて。拒否分には点数入れて、自分の手札を出して、それぞれトークンをバラバラ置いて、次手番。
その中に交換カードありつ、決算にいたる駆け引きありつ。手札内の構成を伺うように様子みたり、身を削って止めたり。決算が起これば、得点計算して、特殊カードを受け取ったり。タイルが尽きて、ゲームが終了。
これら、どの局面でもドライなムード。とにかくドライ。行為があって、結果があって、それが淡々と積み重なっていくだけのような。夢のあるテーマのはずなのに、なにかロマンに欠けるというか。ボードには累々とトークンが並び、タイルが小さくゲームの終了が近いことを示します。得点遅れてるなあ、とか、この建造物では得点圏にあまり絡めてないなあ、とか、ポツンと一人感じて。そんな状況を認識して、次どうするか、与えられた現在に対して最善を探し続けるというか。
それが悪いってわけではないんです。ルール読んだ時には「おー、スゲー」とか思ってました。システム構造はかつてなくイカスもの。しかし、しいて言えば、相性が悪い。結果として飛びぬけた楽しさもなく、ひたすらにせめぎ合いながら収束。みるみる削がれる気勢を感じて、ゲンナリ。しみじみ進んで、しみじみ終わるんですよ。1ゲーム遊ぶとなんだかひどく疲れます。初めて遊んだ時よりも、二回目の方がその印象はより顕著に。どうしたもんでしょうか。



国外評価はともかく、巷では評判よさげな流れですが、決して万人受けはしないゲームだと思います。いや、むしろ、ね。
例えて言うなら「梅雨」みたいなものではないかと。梅雨に趣を感じる人もいれば、じとじとしてやーね、となる人もいたりするような。その割合についても、実際の梅雨と同じくらいだと推測する次第ですが。
梅雨ゲー。なのにドライとは、これいかに。