ラウンドを繰り返すことの意味。

先に言っておきます。まとまりないです。
ゲームしてると出くわすのが、「〜〜ラウンドプレイしてください」というルール。「〜ラウンド」には色んな種類があって、よく出てくるのが人数ラウンド、かな? ゲームごとに色々意味あって設定されてるんですけどもね。ラウンドを繰り返すごとに要素が増えていったりしてクライマックスに向かっていったりするものもあれば、スタートプレイヤーを順番に移行させて有利不利の条件面を調整したりとかね。まあ中には3ラウンド目は得点倍になって、おっと今まではどうなるのよ、みたいな大胆な味付けしてるものもあるけども。それはそれで面白かったりもする。
ラウンドが移行するに従って、手札やらなんやらの増減があって、そのキツサやら選択肢の多さやらを楽しむようなものといえば、トリックテイクか。そんなに細かく増減させなくても、って思うときもあるけど、まあ意味はあるといえばある。
ゲーム的な要素の変化がない場合は、大抵、ゲーム中にプレイヤーの技量の向上を意図していたり、システム的な部分をプレイしながらに理解していくことによって深まっていく駆け引きの面白さを意図してたり、・・・するのだ。きっと。
公的なゲーム会やら自宅でゲームするときやら、たまにあるのが「ルールでは8ラウンドってなってるけど、とりあえず3ラウンド」そして、そのまま終了するパターン。ボード系はラウンド数がゲーム要素として組み込まれていることが多いから、これはカードゲームなんかに多い事例。で、遊んでみると、あんまり問題なかったりする。むしろ「これは8ラウンドは長いなあ」なんて、勝者なら鼻歌交じり、敗者なら溜め息交じりの感想が聞けたりなんかする。あげく今後はこのゲームの定石として「遊ぶときは3ラウンド」とか決まっちゃったりして。目新しさを追い求めるばかりに、こんな風になってしまうのだろうか?
ゲームに接する機会が増えるほどに、ルールに習熟する速度もあがる。今までは手探りで2、3ラウンド遊んで、やっと理解し始めて、4、5、6と本領発揮みたいなところがあったかもしれない。それが近頃は初ラウンド中に掴めるモノがあれば、次ラウンドには本領発揮(?) 3ラウンド目にはやり取り自体に飽きたり。これはさすがに語弊があるな。でも、エッセンスをつまみ食いしてお腹一杯みたいな感じ方はあるかもしれない。感じるようになっているのかもしれない。
ラウンドを繰り返すのは時間があるときでいいよ、なんてことをのたまう人が居て、たしかにゲームをする機会=人が集まる機会は大切だったりする。遊んだことのないゲームをたくさん遊びたいとも思うだろうし。だから、今回はラウンドを繰り返す時間がないのだ。・・・・・・「今回」は?  じゃあ、「次回」は?・・・・むむむむむ。
なにも、繰り返さないことを悪く言いたいわけではない。繰り返せば良いってことでもない。
カードゲームでよくラウンドを減らされる代表がトリックテイクなのだけど、中でもウィザード系はまず間違いなく減らされる。でもウィザード系のトリックテイクで「キャニオン」というゲームがあって、これは思い切りラウンド数を繰り返すウィザード系でありながら、ラウンドを減らされることがまずない。なぜなら、取れたトリックでボード上を移動していくレース戦が本質としてあるからだ。だもんで、自分のコマを進ませる原動力としてトリックテイクがあるおかげで、ラウンドを繰り返してもあまり気にならない。ラウンドを減らしようがないので、仕方ないと思われているかもしれないけど。ともあれ、目的が別にあれば手段を繰り返すのは差し支えないみたいだ。小さな行為の積み重ねがゲームの勝敗を決めていくという基本があって、その規模が大小してる程度の違いでしかないのかも。
これ、ラウンドを繰り返す意味ってあるの?って思うゲームもたまにはある。概して単調で、運の要素が強くて、一発勝負で問題なさそうな、感じの、ゲーム。でもそれは単純に対象にしているプレイヤー層の違いだったり、意図した作り出されたゲーム性だったり(軽いプレイ感など)するかもしれないから、一概にも言えないのか。すべてのゲームに全ての人間が満足することがないように、全く間違った基準を持ってしまっていて、それを以って期待してゲームすることが間違いなのかもしれない。
面白ければ、何度でも、何ラウンドでも遊びますよ。って思うからね。じゃあ、面白く作っておくれよと思う反面、こちらの面白がり方ってこれで間違いないですか?と心配になったりもする。
何が言いたかったのか、わからなくなってきた。
機会があったらまた今度。
ただ、楽しく、ゲームを遊びたい、だけなのに、なあ。
 

・・・・垂れ流し、ですな。こりゃ。