被害報告。

「昨日の地震」の話。
昨日の地震にはびっくり。しかも2回。一回目はゲーム中。ちょっとバランスゲームみたいだった(不謹慎)。そして2回目は飲んだくれ中。もう、揺れる揺れる。ちょっと気持ち悪くなった。しかし、地震は怖い。我が家のボドゲ収納も少なからず被害を受けた。2m超えの棚の上に積み重なっていたゲームのいくつかが墜落。コマを撒き散らして片付け大変。打ち所が悪かったのか、ベッコリしたゲームまで。あわわ。とはいえ、棚が倒れなくて良かった。一つ倒れると連鎖して倒れてしまう配置になっているので、かなりヒヤヒヤした。やっぱり配置変更した方が良いのだろうか。でも、そうすると棚の間の通路が通れなくなってしまいそうだしなあ。現状でいくにしても、棚の固定方法の見直しなど、確固とした地震対策が必要だと思われる。しかし、ちょっと痛い目を見ないと本質やら恐ろしさやらを学べないのは、ゲームも天災も同じだなあと思った今日この頃。
「嗜好の変化」の話。
どうもちょっと長時間ゲームを好むというか、以前より嫌ではない感じ。長時間といってもせいぜい3〜4時間くらいが限界なのだけども、「しっかり腰を落ち着けて遊ぶこと」を楽しく感じてきているようだ。以前はひたすらに数をこなしたいという思いの方が強く、そのためには極端に時間のかかるゲームを避けて遊ぶ必要があった。今でも数を遊びたいという部分は変わらないが、積み重なったゲームを見やると、長時間ものがやたらと目につく。そんな自身の嗜好の変化に驚いてみたり。とはいえ、まだ4時間超えのゲームとなると、「さすがに長いなあ、また今度」と思うのだが、これさえもいずれ問題がなくなっていって、いつか1日かけて遊ぶような大作ばかりを選ぶようになってしまうのだろうか。
「ゲームの選び方」の話。
近頃、ゲームを遊ぶにあたって、何を遊びたいのかわからなくなってきた。もちろん、うずたかく積まれた未プレイを遊べばいいのはわかっているのだけど、なんとなくスルーしてしまうことが多い。未プレイのどれを選べばいいのかわからないのだ。所有ゲームが増えるに伴い、選択肢も増えた。いざ遊ぶ、となると棚を見渡して箱を見て選ぶことが大半なのだけど、どれも面白そうに見えて、これにしようかな、と思う、けど、でもコレ今日遊ばなくてもいいよねえ、と思い返す。大抵は特別、悪い印象があるわけではない。そうなってくると、最近遊んでいて、面白いとも思った、印象が記憶としてより鮮やかに残っているものが目に留まる。じゃあ、コレか。と選ぼうとする手を、「最近遊んだばかりじゃないか」という思いが止める。じゃあ、どうしろというのだろうか。自分の手番にやれる行動が多すぎて煩雑になった、質の悪いゲームを遊んでるみたいな感覚。結局、なんらかの思い切りで選んでゲームを始めるのだけど、ゲーム終了後に、その選択を後悔することはほとんどない。大抵、楽しめる。じゃあ悩むだけ無駄だねえ。と思ったりもするのだけど、やっぱり悩む。「定番」を作って、それを繰り返し遊びたいのだけど、いろんなゲームを遊ばないとという思いが、それに歯止めをかける。ちょっと脅迫観念気味。まいったなあ。どうしたもんだろうか。困った困った。どれも選びたいし、どれも選べない。きっと、時間の使い方がへたなんだろうなあ。贅沢に時間を使っているようで、本当は時間に追われてしまっているのだ。・・・・あり?そんな話してたっけ。
「うっかり和訳」の話。
mutronixさんの日記を読んで思ったのだけども。変わった、とか、見慣れない、とか、そういう基準でゲームを探して購入することが多いので、我が家のゲームには和訳がないものも多い。すると和訳しないといけないのだけども、なにせ不精な性格なので、査読して大丈夫そうだなと思うと文章化せずに放置してしまう。あげく思い出したように遊ぼうとするものだから、査読の記憶は曖昧で原語のニュアンスが汲み取れずルールは不明瞭、結果、当日は何かしっくりこなくてゲームを投げ出す、なんてことも少なくない。近頃は読解能力が上がったのか、そういうことも減りつつはあるのだけど、それでも「ぽい」と投げることがなくなることはなさそう。原文に説明図やら例文やらが充実しているとありがたいのだけども、全てがそういう訳にもいかず。・・・駅前留学でもしてみようかしらなんて思ったり。いや、面倒くさがらず、時間をかけてでも文章におこしておけば「ぽい」はなくなると思うのだけどもね。どうも億劫なのだ。努力しようっと。あと、関係性低い話だけど、和訳するようになってから、付属の日本語訳でわけのわからない表現があったとき、原文をあたるようになった。だって、日本語って難しいのだもの。http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20040905trackback