トランプ、マイブーム。から派生して云々。

唐突ですが。
最近、トランプを使ったゲームが密かに熱いです。軽くムーブメントが来てます。(脳内)
でもね、正直な話、今まであんまりトランプって好きじゃなかったんですよ私。
いや、今でもメチャメチャ好き!ってほどではないですけどね。
以前までと比べれば「密かに熱い」とか言ってるくらいですから、幾分はマシに。
もうどうにもダメだったんです。なんというかこう気持ち的に。


もともと「コンポーネント」に感激してボドゲに入ったような人間だったもんで、今でもやっぱりコンポーネント重視してしまう脳内風潮。
色とりどりのカード、特徴ある駒、そしてテーブルに広がる雰囲気あるボード。「このゲームを遊ぶ為だけに用意されたそれら」は、なんだかとても贅沢で特別なものに思えたんですよ。
ボードや駒がない純然たるカドゲでも、わんさと入ったカードを一見して「何これ?どうやって遊ぶの?」みたいな驚きと、そこから紡ぎだされるイカスオモシロ。聞いた事もないルール、衝撃のアイデアに感激していたあの頃。
カードといったらトランプ、カルタ、花札、やったことはないけどMtgってのが流行ってるらしい、ボドゲといえば人生ゲームかモノポリーかって感じでしたからねえ。
こうした根っこがある為か、今でも「専用品」が好きです。


で。


こういう遊びがあるってのを知ってしまうと、今までのモノが急に色褪せて見えてきたりして。
特にトランプなんかは日常でもわりに出くわす機会が多かっただけに「えー、トランプー?」みたいな気持ちになっちゃってたわけですよ。たいして遊び方も知らないのに。
たしかに色んな遊び方があるってのは知ってました。「コントラクトブリッジとかスカートとか」っていう認識で。しかも、あれスゴイ難しいんだよねって程度で。
なんだかルールが山盛り多いし、カードっていってもトランプでするんでしょ、みたいな妙な食わず嫌い。ボドゲやカドゲがあるからいいです、トランプ食べなくても大丈夫です、みたいな。


なにより気持ちの上で妙な壁を築いたのが「代用の局面」。
カドゲ、特にトリックテイクのカドゲなんかはトランプで代用できるブツが少なくないわけですよ。するってえと、代用品で遊べれば十分だよね、専用品を買う必要はないよね、ってことを言う人がいたりもする。
たしかにそうかもしれないんですが、やっぱり腑に落ちない。カドゲ=専用品っていうイメージが自分の中に出来上がってますし、そこにを感激して「入った」ものだから余計に強固。
実際、「それ」を遊んでみても、「え、トランプだよこれ。目の前にあるのはトランプですから。」みたく、ゲームに没頭できずアタマの奥が乾いた自分が居る。そんな状態でプレイしてるものだから、本来はオモシロであるかもしれないそのゲーム自体もなんだかオモシロく感じられなかったりもして。
別にトランプが悪かったわけじゃないんですがね。単にこうした代用の現場で、あくまで代用品として出てきただけの話で。
でも、いつしかそれは変質していって、「トランプそのものもアレだなあ」って風になっちゃったわけですよ。
こういう気持ち、伝わりますかね。


ちょっと話逸れますが、たとえば自作ゲームのテストプレイとか。コンポーネントを先行してとりあえず作ってしまってから煮詰めていく方と、トランプなどの代用品でアイデアのバランスを取ってからという方がいます。
いざテストプレイって段になってお披露目した時、後者より前者の方が、何につけても印象がいいと思うんですよね。おそらく。
なんというか、そういう感じの話で。


なんやらかんやらと負のイメージが積もりに積もって、優れた汎用なゲームツールという良い面が見えなくなってたんですね。目新しくないし、見た目に惹かれるものもない。どうも手を出したくならなかったんですよ。


長くなりました。


とまあ、そんな私だったんですが冒頭にもあるように今ではトランプゲーを遊んでいます。
それというのも古本屋でなんとなく買った一冊の本。
初版が約30年前とえらく古いものなんですが、当時のファミリー向けの本のようでとても読みやすい。どちらかといえばモニタ上の文字よりも印刷された活字の方が相性いいということもあり、スンナリ読みすすめることができました。
おかげで色んなトランプゲーを知りましたねえ。これと出会わなければ私はこれからもトランプを避け続けていたと思います。
ゲームを色々と遊んだ今だからこその「ああこれが元だったのか」だの、「これは斬新だぞう」だのの発見やらオドロキやら。汎用性の高いカードならではの広い世界がそこにありました。
なんだトランプいいじゃないかオモシロじゃないかと。
ちうことで地味にトランプ、マイブーム。
まあそれでも相変わらずトランプの見栄えにションボリしてしまう自分が居るので、今度それっぽく見えるヤツを探しに行こうかなんて画策してます。
「定番のヤツ」を使うのが、トランプで遊ぶにあたっての本道だろうとも思うんですが、なんでしょうかねえ、まだ私はそこまで割り切れてないというかなんというか。ココロにこびりついた妙な価値観はそう簡単に拭い取れないようです。